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サンチー遺跡の解説

 


                                   

 

世界に数多くある仏教遺跡の中で、最も釈迦の事を今日に伝える遺跡は、サンチーの仏教遺跡かもしれません。遺跡の造営が開始されたのは釈迦の没後200年のアシカ王の時代、今日に残る見事な彫刻が完成したのはそのおよそ300年後のサータヴァーハナ朝の時代とされます。釈迦が悟りをひらき、布教をされた同じインドの大地で、時の経過きわめておおらかな時代、サンチーの遺跡はまさに釈迦そのものを間近にみつめ石に刻み、現在に伝えます。とはいえ、この時代はガンダーラやマトゥーラで仏像制作が開始される以前の時代で、釈迦の姿を直接石に刻む事はされませんでした。これは、あまりにも崇高な釈迦を象徴化する事への畏怖の念があったからだとされます。そのため、レリーフにある釈迦の姿は、法輪・菩提樹・法座・傘蓋(日傘)・ストゥーパ(釈迦の遺骨を埋葬した施設)・仏足石(釈迦の足跡)等で表現されています。この事から遺跡に残る彫刻群は、ブッダなき仏伝図ともよばれます。特に貴重な彫刻は、第1ストゥーパの周りを囲む欄楯(ランジュン)の四方にあるトーラナ(門塔)に残ります。サンチーはまさに訪れる者を、時空を超え釈迦が正覚を得て布教した2500年前のインドの世界にいざないます。

 

 

 

  

 

第1ストゥーパにある東西南北の4つのトーラナには、2本の柱と柱の上部に渡された3本の梁に仏教をテーマにした様々な彫刻が残ります。これから、それぞれの彫刻について解説いたします。解説の順番は梁の正面(ストゥーパの反対側)→梁の裏側(ストゥパーの側)。柱については、右側柱の正面→内側(正面から見た左側)→外側(正面から見た右側)、左側柱の正面→内側(正面から見た右側)→外側(正面から見た左側)の順で進めてまいります。

 

 

              


  
  第1ストゥーパ・東のトーラナ(塔門)

 

外側の梁上段 過去七仏への礼拝(菩提樹とストゥーパの供養)】
 古代の仏教では、釈迦が悟りをひらいたのは、釈迦の前世である過去仏の功徳が累積した結果であると考え、釈迦のみでなく過去仏も礼拝の対象として重要視されました。これは仏教の根本理論の1つである輪廻転生の考え方で、前世の功徳が大きさにより来世が決定づけられるという考え方によります。釈迦の前世である過去仏とは以下の七仏です。尚、過去七仏には釈迦も含まれ、前世は六仏という事になります。
 ①毘婆尸佛(ビバシブツ)②尸棄佛(シキブツ)③毘舎浮佛(ビシャブツ)④拘留孫佛(クルソンブツ)⑤拘那含牟尼佛(クナゴンムニブツ)⑥迦葉佛(カショウブツ)⑦釈迦牟尼仏(シャカミニブツ)
 作品を見てみましょう。ここでは左右の張り出し部分も含めて、5基のストゥーパと2本の聖木(菩提樹)をご覧いただけます。ブッダ不表現の原則は過去仏に対しても同じで、ここでは過去七仏がストゥーパと聖木で表現されています。人々がストゥーパーや聖木に花輪をかけていますが、これが当時の礼拝方法でした。このデザインは、東のトーラナ内側の梁上段やその他の部分でも好んで表現されており、いずれも最上段のデザインに使われています。

外側の梁中段 【カピラ城からの出家】
 釈迦はシャカ族の浄飯王の王子として産まれ、29歳で出家されるまでカピラ城で暮らしました。この作品は釈迦がカピラ城を愛馬カンタカに乗って出家する場面のものです。画面左の建造物がカピラ城で、カピラ城を後にして画面右に進む4頭の馬(カンタカ)をご覧いただけます。この馬には傘がかけらており、釈迦が馬の背中かに乗っている事を示しています。画面右端に仏足石があり、釈迦はここで馬から降りた事を暗示しています。仏足石左下にカピラ城に帰るカンタカの姿がありますが、カンタカの背に釈迦はもう居ないため傘はかけられていません。作品からは確認しづらいですが、カンタカの蹄の音がしないよう、カンタカは四天王により持ち上げられ城を出る様子が刻まれます。これは出家が浄飯王に気づかれないよう行われたためでした。興味深いのは作品の中に5頭のカンタカが表現されています。これは時間が経過して移り変る画面を1枚のパネルの中に表現したもので、この技法はサンチーの他の作品の中にも多くみられます。

外側の梁下段 【アショカ王ブッダガヤ参拝】
 中央の菩提樹の木があり、その下に誰もいない精舎とその中に宝座がおかれています。この宝座が、お釈迦様が悟りをひらいた金剛宝座で、ブッダガヤでの場面です。右側に象が座っており、それから降りた人物と、宝座にひざまずき礼拝する人物を見ることができます。それぞれの人物がアショカ王で、ここでも時間が経過した違う場面が、同じパネルの中に表現されています。残りの空間には、ブッダガヤに来たアショカ王を歓迎する、武器や楽器・幟を持った兵士や侍女なので埋められています。左右の突出部分には孔雀が彫られていますが、クジャクはマウリヤ王朝(アショカ王はマウリヤ王朝3代目)の象徴です。

 

 

 

 

外側の梁下段下 【樹下のヤクシー像】
 創建時、第1ストゥーパの東西南北のトーラナの下段の梁の下部には、左右2体のヤクシー像が合計8体飾られていました。現存するのは東1体・北2体の3体のみです。ヤクシーとは仏教成立以前の地母神のような性格の女神で、ストゥーパを守護する役割を担っています。東のトーラナに残る1体は、インド的な美と豊穣と官能が一体化された傑作で、マンゴの樹下で首飾りと腰巻、腕輪・足輪のみをまとった全裸をさらすヤクシーです。後ろ姿も驚くほどの艶めかしさに溢れています。散逸した作品のうち1体・南のトラーナにあったヤクシーはボストン美術館に収蔵されています。

 

 

 

 

内側の梁上段 【過去七仏への礼拝(菩提樹供養)】
 東トーラナ外側の梁上段と同じ意味をもつ作品です。内側では左右の突出部分のスペースを含めて7本の聖木(菩提樹)が彫られ、過去七仏を表現しています。作品の中の人達は菩提樹を礼拝し、花輪をかけています。

内側の梁中段 【動物達の菩提樹礼拝】
 中央に聖木(菩提樹)が彫られ、これを囲むように動物達(牛・ライオン・羊・鹿・鳥・蛇)が菩提樹を礼拝しています。この菩提樹は釈迦を示します。釈迦は人間のみならず、動物達からも崇められたという事をあらわしています。画面左上には人面をした2頭のライオンが、面右上には人面をした2頭の羊が彫られています。人面の表情が非常にリアルで、どうしてこういうデザインになったか、興味がつきません。ライオンはアフリカに住む動物というイメージがありますが、2000年前にはアジアにも広く生息していました。

内側の梁下段 【象たちのストゥーパ礼拝】
 中央にストゥーパが彫られ、これを囲むように象達がストゥーパを礼拝しています。ストゥーパは釈迦を表しています。象たちは鼻で花輪をもつものや、牙に花輪をかけるなどして、ストゥーパに花輪をかけ礼拝しようとしています。

 

 

 

右柱正面(全面) 【俗界の六天(六欲天)】
 上部から下部にかけてほぼ同じ高さの6つの区画と、その上に高さの低い1区画があります。下部の6区画は欲界六天をあらわし、上部の1区画は欲界六天の上の梵天界をあらわすといわれています。欲界六天とは須弥山の外側にあり、①他化自在天(タケジザイテン) ②化楽天(ケラクテン) ③兜率天(トソツテン) ④夜摩天 ⑤忉利天(トウリテン ⑥四大王衆天王(シダイオウシュウテン)で構成されます。欲界六天の天人の身長は2里、寿命は4,000年といわれます。

右柱内側(上から1段目) 【菩薩による神々への説法】
 釈迦として天上界から地上界に降下する前、兜率天で神々に説法をされたときの場面です。上部中央の菩提樹は菩薩(悟りをひらく前の釈迦)を表しています。中央の菩提樹が菩薩を表す。

右柱内側(上から2段目の縦長の作品) 下記の3つのお話で構成されています
 上部:カピラ城で釈迦が降誕する直前の場面です。柵で囲まれている建物がカピラ城で、横になって寝ているのが釈迦の母マヤ夫人です。建物の上に象の姿がありますが、まさに今天上界から降下してきた白象が、寝ているのはマヤ夫人の脇腹から胎内に入ろうとしているところです。
中央部:悟りをひらいた釈迦がカピラ城に帰り、父でありシャカ族の王である浄飯王に説法をしにきました。浄飯王は馬車に乗り城を出て釈迦を迎えに行こうとしています。
下部:同じ時、気位の高いシャカ族の長老達は、釈迦を礼拝しようとはしませんでした。これに対し釈迦は空中を歩くという神通力をしめしました。その姿を見た長老達は合掌をしています。作品の下の方に何もデザインされていない左右の平な石が彫られていますが、これが経行石(ヒンキンセキ)で釈迦が空中を歩いた事を示しています。その下の画面左下の菩提樹は、空中から地上に降りた釈迦を表しています。

右柱内側(上から3段目) ヤクシャー
ヤクシーの男性版で同じく古代インドの土着神です。ストゥーパーの門番をしています。

右柱外側 全面模様

 

 

 

左柱正面(上から1段目) 意味は不明

左柱正面(上から2段目) 【ブッダガヤの光景】
 傘蓋のかかる菩提樹の下に精舎があり、その中に法座があります。菩提樹の上を飛ぶのは人面・有翼の架空の鳥キンナラです。サンチーのストゥーパに登場するブッダガヤの精舎は、今日の大菩提寺(大塔)とは形が異なる、だいたいこの形をしています。アショカ王の時代の大菩提寺はこういう形をしていたのでしょうか。

左柱正面(上から3段目) 【カーシャパ調伏③尼蓮禅河の奇跡(この話は左柱外面のカーシャパ調伏①②の続きです)】
 釈迦が活躍していた時代、火を祀るバラモン、カーシャパ3兄弟というのが居ました。彼らには人々から尊敬をあつめ1000人の弟子を従え、釈迦が率いる仏教教団とは一線を画していました。ある時釈迦が、神通力で大雨を降らせ尼蓮禅河を氾濫させました。釈迦がその河に入り横切ろうとします。その姿を見たカーシャパの弟子は、釈迦が溺れたと思いカーシャパに報告しました。カーシャパは船を出して確かめにいくと、釈迦は濡れる事なく、河の底の土を踏みながら河を横切っていました。それでも、カーシャパは自分の方が釈迦より偉いと考えゆずりませんでした。そこで釈迦は『カーシャパよ、お前は真理を体得したわけでも、真の聖者でもないのに何故そんなに我を張るのか』と諭します。カーシャパはこれに観念し、釈迦にひれ伏し許しをこい弟子になりました。
 作品を見てみましょう。画面中央の船にカーシャパと漕ぎ手2人が乗っています。船の下に平らな石、経行石(ヒンキンセキ)があります。ここを釈迦が横切った事を示しています。まわりの6本の菩提樹は、水に入る前と河を渡り終えた釈迦を示しています。画面下には降参して合掌するカーシャパの姿があります。画面中央部は河面をあらわすは波状文と水鳥・ワニの姿が躍動的に彫られています。

左柱正面(上から4段目) 【ラージギール(王舎城)の光景】
 画面上部建物は王舎城で、城の主ビンビサーラ王が2頭だての馬車に乗り、釈迦の居る竹林精舎に向かう場面です。釈迦は画面左上の宝座であらわされています。宝座の前に合掌し釈迦の説法を聞くビンビサーラ王の姿があります。竹林精舎はビンビサーラ王により寄進された寺院で、仏教史上最初の寺です。スダッタにより寄進された祇園精舎は仏教史上の2番目の寺院という事になります。

左柱内側(上から1段目) 【貧しいバラモンの供養】 
  ある時、貧しいバラモン夫婦が釈迦に食事の供養を行いました。その功徳で貧しいバラモン夫婦は豊かになったというお話です。画面左上に粗末な小屋があります。画面中ほどに宝座があり、ここにこの夫婦が供養した食事を食す釈迦が居ます。その右側に善行の報いで豊かになった夫婦と、彼らの大きな家が後ろに見えます。その他の画面に山羊・羊・こぶ牛・水牛が多数表現されていますが、これは豊かになった夫婦の財産であると推測されます。

左柱内側(上から2段目) 【カーシャパ調伏① 火神堂内毒龍調伏】
 ある時、釈迦がカーシャパ兄弟の教団に一夜の宿求めました。カーシャパは『あいにく宿舎は弟子でいっぱいだ。火を噴く毒竜が住む部屋(火神堂)なら空いている。』と言ってブッダの宿泊を拒もうとします。釈迦は、それでもかまわないので泊めてくれと言い、火神堂での宿泊する事にしました。夜になると火を噴く毒龍がブッダに襲いかかり、焼き殺そうとします。釈迦はこれに対し、火炎定という神通力で釈迦自身も全身から炎を放ち毒龍を調伏しました。その時堂内はまさに火炎地獄となり、誰もが釈迦は焼け死んだと思いました。翌朝、釈迦は堂内の様子を見に来たカーシャパに、小さな蛇となった毒竜を、鉢の中に封じ込め、差し出します。すさまじい神通力を目の当たりにしたカーシャパですが、自分の方が上であると考え、ブッダに帰依する事はありませんでした。
 
作品を見てみましょう。中央に火神堂があり5つの頭をもつ毒竜が居ます。その下に何の装飾もない宝座があり、ここにブッダが居る事を示しています。その前に燭台があります。火神堂の屋根からは炎が噴き出しています。火神堂左に居るのがカーシャパで、右側に居るのがカーシャパの弟子です。弟子達はブッダの神通力におののき合掌をしています。
 このパネルの下半分は別の話で、ある冬の寒い日、釈迦の弟子たちは尼蓮禅河で沐浴をしていました。あまりに寒いので釈迦は500個の暖炉を出現させて、弟子たちの暖をとりました。それを見たカーシャパの弟子達は驚いて手をあげています。カーシャパはあいかわらず、自分の方が上であると考え、釈迦に帰依する事はありませんでした。

左柱内側(上から3段目) 【カーシャパ調伏② 聖火不燃不滅】
 釈迦が火神堂に宿泊してから数日後、カーシャパの教団では礼拝を行うのに火をつけようとしますが、火がつきません。釈迦のところに行き、何か技をかけたかと聞きますが、釈迦は何もしていないと答えました。カーシャパが教団にもどると、今までつかなかった火が問題なくつきました。また、火の儀式のために必要な薪を割ろうとしても、斧を振りおろす事ができなくなりました。釈迦のところに行き何か技をかけたかと聞きますが、釈迦は何もしていないと答えました。カーシャパが教団にもどると、今まで振りおろす事ができなかった斧を問題なく振る事ができるようになりました。
 作品を見てみましょう。中央上部のストゥーパが釈迦をあらわします。ストゥーパの左下には天秤棒で薪を運んでくる人がいて、さらにその下に、火のついていない燭台と、火のついた燭台があります。右下には斧を振り下ろす事ができない弟子と振り下ろす弟子の姿があります

左柱内側(上から4段目) 【ヤクシャー】 

左柱外側(全面) 【怪魚マカラから吐き出される蓮の茎と花】

 



  第1ストゥーパ・南のトーラナ(塔門)

 

外側の梁上段 【豊穣と吉祥の神ラクシュミとこれに水をかける2頭の象】 
 画面一面をうめるのは蓮の花で、蓮の花の間に水鳥がいるのがわかります。画面中央の上部には2頭の象が居てこの象がラクシュミ女神に水をかけています。この女神は仏教発祥以前からのインドの土着神で、豊穣と吉祥をつかさどっています。象は池から水を汲みラクシュミにかけています。この水は果てしなく循環し、輪廻転生を暗示しています。このデザインはブッダの降誕を意味する事もあります。

外側の梁中段
 【ラーマグラーマ・ストゥーパの話】
 釈迦の入滅(死去)後、クシナガラの地で遺体は荼毘に付され舎利(遺灰)が残りました。この舎利をめぐり争が起こりかけますが、ドルーナ仙の調停で8つの国に分けられ埋葬されました。それからおよそ100年後、仏教を拠り所にして国を治めていたマウリヤ王朝3代目のアショカ王は、舎利を発掘して84,000箇所にわけ再埋葬し、さらなる仏教の普及をはかろうとしました。ところが龍王が守るラーマグラーマのストゥーパだけは龍王の抵抗にあい開ける事ができませんでした。この作品はアショカ王がラーマグラーマ・ストゥーパを発掘しようとしている場面のものです。
 画面中央の欄楯が二重にめぐらされているストゥーパがラーマグラーマのストゥーパです。この右側にちょうど今到着したアショカ王が馬車から降りようとしています。その後ろには象に乗った従者が続きます。ストゥーパの左には、5つの頭の蛇を頭にのせた龍王が2人待ちかまえています。

外側の梁下段 【蓮の花(如意の蔓)を吐き出すヤクシ-
 6人のヤクシーが蓮の花(生命の象徴)を口から吐き出しています。仏教発祥以前からインドにある縁起をかつぐデザインです。

 

 

内側の梁上段 【過去七仏への礼拝(菩提樹とストゥーパの供養)】 
東のトーラナでみたのと同じです

内側の梁中段 【象王チャダンタ本生】 
 六本の牙をもつ象王チャダンタには2人の妃がいました。2番目の妃は些細なことから王からはずかしめられたと嫉妬をし、生まれえ変わって復讐する事を決心し自殺をしてしまいました。この2番目の妃は人間の娘として生まれかわり、ベナレスの王の妃になました。ある時この妃は、王にヒマラヤ山中に住む6本の牙をもつ象の牙が欲しいと頼みます。王は捜索隊を組織し、7年間の探索の結果象をみつけだします。探索隊は、落とし穴を掘り毒矢を撃ち、死にかかった象の牙を切ろうとしますが、切る事ができません。象は自分で牙を切り差し出し、『私の牙を欲しがるのはかつての私の妻で、王妃もあなたがた猟師も恨む事はない』と言い残し絶命してしまいます。捜索隊はベナレスに帰り、象王チャダンタの最後を王妃に伝えました。王妃は後悔とショックでその場で命をおとしてしまいます。この話は、我慢に耐えたチャダンタが、釈迦の前世であるとする本生譚(ホンショウタン ブッダの前世の話)のお話です。
 画面には何頭もの象が彫られていますが、6本の牙をもつ象と2本のみの牙をもつ象がいます。6本の牙をもつ象は釈迦の前世なので傘がかけられ、払子をもった象を従えています。また、右の方の牛の左下には、わかりにくいですが、チャンダンを狙う弓をもった猟師の姿があります。

内側の梁下段
 【舎利戦争と舎利分配】
 釈迦の入滅後、クシナガラを治めていたマッラ族は、釈迦はクシナガラで没したのだから舎利をクシナガラ1国のものと主張し、独り占めをしようとしました。これに対し各国は、配分を受けようと軍隊を送り、一触即発の事態となります。これをドローナ仙が、釈迦の教えである寛容の精神で仲よく分配するよう進言し、各国はこれを納得し、等分に8つに分けられ、各国に持ち帰えられる事になりました。
 作品の中央の建物はマッラ族の都クシナガラ城です。右と左の両方向から馬車や象に乗ってやって来る人達がいますが、これは舎利の分配を求める各国の人達です。城の左側には弓を構え武力で舎利の分配を求める人達の姿もあります。結果的にはドローナ仙の調停で、平和裏に分配が行われました。弓を構える人の上に舎利の配分を受け国に帰る象の姿があります。この象には舎利が載せられているので、傘がかけられています。

 

 

右柱には作品がありません

 

 

左柱正面(上から1段目)【初転法輪】  
 これはベナレス郊外サルナートで行われた、悟りをひらいた釈迦が初めて行った説法(初転法輪)の様子です。ここでは中央上部の法輪が釈迦をあらわしています。仏教の世界では最初の説法を聞いたのは5比丘(釈迦が悟りをひらく前に一緒に修行した5人の修行僧)とされますが、この作品では複数の男女が説法を聞いています。釈迦の初説法は鹿の国(鹿野苑)で行われ、鹿までもが耳を傾けたとされる事から、下部には複数の鹿の姿があります。

左柱正面(上から2段目)【意味は不明】

左柱正面(上から3段目)【巡行に出かけるアショカ王】
中央の象に乗るのがアショカ王です。

左柱内面(上から1段目)【菩提樹とブッダガヤの精舎】
 最上部に傘がかけられ、その下に菩提樹と精舎があります。精舎の中には宝座があり、その上に3基の三宝標が載せられています。これはブダガヤの釈迦が悟りをひらいた場所に建つ精舎(大菩提寺)で、サンチーの彫刻ではだいたいこの形をしています。アショカ王の時代のブダガヤ大菩提寺はこの形をしていたのかもしれません。

左柱内面(上から2段目)【ブッダガヤに到着したアショカ王】

左柱内面(上から3段目)【神々が釈迦の頭髪を礼拝する光景】 
 カピラ城から出家したシッダルタ王子(悟りをひらく前の釈迦)は、ブッダガヤ郊外の苦行林にて髪と髭を剃り、修行生活を開始します。シッダルタ王子が剃った髪を空中に投げたところ、帝釈天がこれを空中で回収し、忉利天(トウリテン 三十三天)に持ち帰りました。この作品は忉利天に持ち込まれたシッダルタ王子の頭髪を天界の神々が礼拝している様子です。

 


  第1ストゥーパ・西のトーラナ(塔門)

 

外側の梁上段 【過去七仏への礼拝(菩提樹とストゥーパの供養)】
今までみてきたものと同じです。

外側の梁中段 【初転法輪】
 南のトーラナの左の柱と同じで、釈迦の初説法(初転法輪)の様子です。中央の法輪が説法を行う釈迦をあらわし、ここでも説法を聞くのは五比丘ではなく十人あまりの人達で、彼らは全員合掌をしています。初転法輪では必ずセットになる鹿も数頭左右に彫られています。

外側の梁下段 【象達の菩提樹礼拝】
 中央の菩提樹を多数の象が礼拝しています。象達は菩提樹の木に蓮の花輪をかけています。画面左下には蓮池がありここから蓮の花をとっている象もいます。

 

 

 

内側の梁上段 【舎利を城に持ち帰るマッラ族の人】 
 クシナガラで涅槃をむかえた釈迦は、クシナガラのランバル・ストゥーパ荼毘塚)で荼毘に付されます。火葬後残った舎利(遺骨)は、クシナガラを治めていたマッラ族により、マッラ族の都クシナガラ城へ運ばれました。この作品はその時の様子で、左側にある立派な建物がマッラ族の都クシナガラ城です。この城に向かい人々や象・馬が行進をしています。中央の大きな象には舎利が載せられているため傘がかけられています。このお話は中段へと続きます。

内側の梁中段 【舎利を求めて殺到する王達】
 マッラ族によりクシナガラ城内に運ばれた舎利ですが、尊い舎利はどこの国の王達にとっても非常に欲しいものでした。この作品は舎利を求めクシナガラに殺到する王達の様子です。左端の建物は上段と同じクシナガラ城で、象や馬に乗った7人の王が向かっています。左突出部分の右に、傘の下に座る老人が彫られその前に水差しが置かれています。この老人が舎利を均等にわけるよう仲裁したドローナ仙人です。

内側の梁下段 【降魔成道】
 ブッダガヤでまさに釈迦が悟りをひらいたときの様子です。中央に菩提樹・精舎・宝座が彫られています。この宝座の上に釈迦は居ます。精舎の右側には邪悪な顔をしたラーマなどの悪魔が描かれ、悪魔たちは釈迦が悟りをひらくのを邪魔しようとしましたが、悟りはひらかれ、落胆した様子でそこから逃げ出しています。悪魔の中には馬や象に乗って逃げだすものもいます。精舎の左側には成道を祝福する神々が描かれています。神々は合掌する者や楽器を鳴らす者、旗や幟をもつものなどいろいろで、一様に祝福しています。

 

 

右柱正面(上から1段目)【猿王マハカピの物語】 
 昔ガンジス河の上流の山中に、猿の王国がありました。この国には非常に美味な実をつけるマンゴの木がありました。猿達はこのマンゴの実が落ちて川に流され、人間の世界にゆかないよう、とりわけ注意をしていました。ある時ベナレス(当時の国名はカシ)の王がガンジスで沐浴をしていたところ、上流からマンゴの実が流れてきて、口にしたところそれは美味しいマンゴでした。カシの王はこのマンゴの実をつける木を探索するため筏を組んで、河を遡りました。すると猿の国の中にマンゴの巨木をみつけました。マンゴの木には多くの猿の姿がありました。王は猿達を弓で射るよう命じ、次々と矢が放たれました。猿達はパニックをお越しマンゴの樹上を逃げまわります。その時猿王のマハカピは、2本蔓を体にまきつけ、蔓・自らの体・蔓で対岸に猿達を逃がす橋をつくりました。猿達は猿王のマハカピが身を挺してつくった橋により全員対岸に逃げる事ができましたが、猿王のマハカピは疲労のあまり命をおとしてしまいます。その姿を見たカシの王は、猿でも自己犠牲で一族を救ったのに、自分の行動は何と愚かであったかと深く反省します。このお話の中で猿王マハカピは釈迦の前世であったといわれます。
 作品をみてみましょう。上下方向にガンジス河が流れ、上部に自ら橋となった猿王のマハカピの姿があります。その河の右には弓をもつカシの兵士の姿があります。その上には慈悲をカシの王に説く猿王マハカピの姿があります。

右柱正面(上から2段目)【菩提樹を礼拝する人々】

右柱正面(上から3段目)【菩提樹を礼拝する人々】

右柱正面(上から4段目)【ライオンの象】

右柱内側 【全面模様】

右柱外面(上から1段目)【意味は不明】

右柱外面(上から2段目)【ブッダの説法を聞く人々?】

右柱外面(上から3段目)【ヤクシャー】

 

 

左柱正面 【天上界で幸せに暮らす5組の夫婦】

左柱内面(上から1段目) 【シャーマカの物語】
 昔ベナレスに1人のバラモンが暮らしていました。48年間禁欲生活を守っていましたが、子供を作らない事は先祖に悪い事だと感じ、妻をとり結婚しました。その後妻は妊娠し、ヒマラヤの山中に入り2つの小屋をつくり再び禁欲生活を始めました。やがて子供が生まれシャーマカと命名されました。シャーマカが青年になった頃には夫婦とも失明をし、シャーマカは両親の面倒をみて厳格な生活をおくりました。ある時カシ(ベナレス)の国の王が鹿狩りで山中に入り、誤って水汲みをしていたシャーマカに弓を放ってしまいました。シャーマカは死の直前1本の矢で3人を殺すとは非道だと王に訴えました。王はこの話を聞き、王位を捨て山中で王自身が両親の面倒を見ると約束します。これを聞いてシャーマカは安心して息を引き取りました。王は両親のところに謝罪に行きました。両親は3人の生活が厳格、で悪い行いは一切していないので、シャーマカを蘇生させる事ができるといいました。両親と王はシャーマカのところに行き、蘇生を祈ると、帝釈天がこれを聞き入れ天上界の薬を飲ませ蘇生をさせました。
 作品を見てみましょう。画面右上に2棟の小屋その前に両親が住み、左中央より下に弓を射る前と射った後の王が居ます。その下には矢の突き刺さったシャーマカが横たわります。中央に水汲みのため壺をもつシャーマカと帝釈天の姿があります。

左柱内面(上から2段目) 【ムチリンダ竜王】
 釈迦が悟りをひらいてから第5週目に暴風雨が襲いました。この時ムチリンダ龍王が自分の体を傘にして釈迦を暴風雨から守りました。ブッダガヤの大菩提寺の敷地内に池があり、池の中にブッダを守るムチリンダ龍王の像があります。ブッダガヤに行かれた方なら覚えてられるかもしれません。
 作品を見てみましょう。中央上部に釈迦の象徴である傘のかけられた菩提樹があります。その下に5匹のカマクビを持ち上げた蛇(コブラ)が背後からかぶさるムチリンダ龍王の姿があります。龍王を囲むようにナガ族の女性の姿も多数彫られています。

左柱外面 【全面模様】

 


  第1ストゥーパ・北のトーラナ(塔門)

 

外側の梁上段 【過去七仏への礼拝(菩提樹とストゥーパの供養)】
今までみてきたのと同じです。

外側の梁中段 【過去七仏への礼拝(菩提樹の供養)】
今までみてきたのと同じです。

外側の梁下段 【ビシュシュ・バンタラ本生①】
 シビ国のスダーナ太子は、日頃から貧しい者・病人によく施しをしていました。シビ国には不思議な力をもつ白象がいて、この象に願うと適当な時期に雨が降り、人々の生活は豊かでした。ある年、隣の国がひどい干ばつにみまわれ、隣国の王がこの白象を貸してくださいと申し入れてきました。スダーナ太子はこれに応じ、白象を渡してしまいました。この事に国民は怒り、スダーナ太子一家は国を追放される事となります。妃と2人の息子とともに4頭だての馬車で、ヒマラヤに向かいました。途中で現れたバラモンに『馬をくれ』といわれ馬を渡してしまいました。(物語は内側の下段(この作品の裏側)に続きます)
 作品を見てみましょう。画面右側に白象とシビ国の城郭があります。その左に傘をかけられるスダーナ太子と妃・2人の息子の姿があります。その左が4頭だての馬車に乗り、城を後にする4人です。パネルの左端に馬を要求するバラモンの姿があり、その上に進行方向を変えバラモンに連れていかれる4頭の馬の姿があります。

 

 

内側の梁上段 【象達の菩提樹礼拝 または 象王チャダンタ本生】
 中央に菩提樹の木があり、これを礼拝する象達が描かれています。菩提樹の左右に居る象は他の象より大きく、よく見ると6本の牙を持っています。南のトラーナ内側中段に『象王チャダンタ本生』という作品がありましたが、この作品はチャダンタ本生を意識してつくられたのかもしれません。

内側の梁中段 【降魔成道】
 ブッダガヤの金剛宝座にて、釈迦が今まさに悟りをひらこうとしているところの場面です。パネル左に菩提樹がありこれが釈迦です。その左下に食事を盛って運ぶ女性の姿があります。彼女が悟りをひらく前の釈迦に、乳粥の供養をした事で知られるスジャータです。画面中央やや左よりに堂々とした態度で座る男の姿があります。彼は悪魔の王ラーマで、間もなく悟りがひらかれようとする中、最後邪魔をかけているところです。その右側には醜悪な姿で悟りをひらけせまいと、脅迫する無数の悪魔が彫られています。

内側の梁下段 【ビシュシュ・バンタラ本生②】
(物語は外側の下段(この作品の裏側)から続きます)
 バラモンに馬を渡してしまったスダーナ太子一家は徒歩にてヒマラヤに向かい、ヒマラヤ山中に小屋を建て住みました。しばらくするとバラモンが現れ『子供をくれ』と申し出てきました。スダーナ太子は断腸の思いで子供を差し出しました。しばらくすると別のバラモンが現れ『妻をくれ』と申し出てきました。スダーナ太子は同様に差し出しました。実はこのスダーナ太子はシャカの前世で、この一連のプロセスは、来世でシャカとして生まれる条件として、スダーナ太子の布施行が完全なものかどうか、帝釈天が試したものでした。結果スダーナ太子の布施行は完全なものである事が確認され、妻と子供はスダーナ太子のもとに戻り、一家は馬に乗りシビ国に帰りもとどおりの生活にもどりました。
 作品を見てみましょう。右側の張り出し部分に徒歩にてヒマラヤを目指す4人の姿があります。その左(柱の左)にヒマラヤ山中に小屋をつくり生活している姿があります。その左に『子供をくれ』というバラモンと、棒でたたかれながら連れていかれる子供の姿があります。さらにその左には『妻をくれ』というバラモンの姿があります。一番左に話の進行方向と逆を向いた馬がいますが、これにヒマラヤ山中からシビ国に帰るスダーナ太子が乗っています。

 

 

右柱正面(上から1段目)【三道宝階】
 釈迦の母マヤ夫人は、釈迦の降誕の3日後この世を去られます。悟りをひらいた釈迦は、天上界のマヤ夫人に説法される事を念願されました。ある時に祇園精舎の香堂(ガンダクティー)から天上界に上がられ、三十三天のパーリジャタカの樹下で、3か月マヤ夫人に説法を説かれました。その後再び地上界にもどられた場所が、アグラから160キロのところにあるサンカシャというところで、八大仏跡の1つに数えられています。天上界から地上界に降りてこられる時、3本の階段が現れ、中央の金の階段からお釈迦様が、右側の白銀の階段から払子を持った梵天(ブラフマー)が、左側の水晶の階段からお釈迦様に傘をかざした帝釈天(インドラ)が、降下してきました。この出来事を三道宝階といいます。
作品を見ると階段の上と下に菩提樹が彫られています。これは降下をされる前と後の釈迦が表現されています。

右柱正面(上から2段目)【四門出遊】
 釈迦はシャカ族の王子とし、カピラ城の城内で何一つ不自由のない生活をしていました。ある時城の東門から外に出たとき老人を見て大変なショックを受けます。その後、南の門から外に出て病人を、西の門から外に出て死人をも目撃し、これがきっかけとなって出家をしたと伝えられます。この出来事を四門出遊といます。
 作品を見る城から馬が出てきていますが、背に乗る人の姿はありません。これはブッダ不表現の鉄則があるためで、ここにシッダルタ王子が乗っている事は、傘がかけられている事でわかります。城内にはシッダルタ王子を見送る浄飯王とシッダルタ王子の妃ヤショダラと待女?の姿があります。

右柱正面(上から3段目)【菩提樹礼拝】
中央の菩提樹が釈迦で、その周りを何人もの人が取り囲みブッダの説法を聞いています。

右柱内面(上から1段目)【人々のストゥーパー礼拝】

右柱内面(上から2段目)猿王奉蜜】
 バイシャリでの出来事です。釈迦の一行が托鉢をしていたところ、1匹の猿王が付近のマンゴ林からマンゴの蜜を集め釈迦に奉じました。このお話を猿王奉蜜といいます。
 作品では、左側の菩提樹が釈迦で、その横に2匹の猿が彫られています。左の猿は今から蜜を釈迦に差し出そうとしています。右側の猿は蜜を受け取ってもらえた事を喜び、ガッツポーズをしている様子です。



右柱内面(上から3段目)【浄飯王のブッダ訪問】

右柱内面(上から4段目)【ヤクシャー】

右柱外面 【全面模様】

 

 

左柱正面(上から1段目)【菩提樹礼拝】
 釈迦を表す菩提樹のまわりを人々が囲み説法を聞いているところです。上部には大きな太鼓とバチを持つ人の姿がります。

左柱正面(上から2段目)祇園精舎の光景 
 祇園精舎とは、コーサラ国のジェータ太子の所有地を、豪商スダッタが買収し精舎を建立し釈迦に寄進した寺院です。買収に際しジェータ太子は、金貨を敷つめ、その広さだけの土地を譲ろうといいました。スダッタは実際、牛車で金貨を持ってきて地面に敷き詰めました。画面下の精舎の下に敷き詰められた金貨を確認できます。

左柱正面(上から3段目)【意味は不明】

左柱正面(上から4段目)【出家したブッダを探す浄飯王
 釈迦が出家する事は夢占いで予言されていて、父の浄飯王は釈迦が出家しないよう最大限の注意をしていました。画面中央で馬に乗るのは、出家をしてしまったシッダルタ王子を探しに行く浄飯王です。

左柱正面(上から5段目)【天上界の様子】

左柱内面(上から1段目)【洞窟で帝釈天に説法をする釈迦】
 ある時ブッダは、王舎城を囲む山の洞窟に留まっていました。そこに天井界から帝釈天が降下してきて法を説くように頼みました。その時の様子が表現されています。

左柱内面(上から2段目)【プラセナジト王がブッダに会いに来る様子(祇園精舎)】
 釈迦は夏の間は主に祇園精舎に滞在されました。祇園精舎はコーサラ国の都スラバスティーの近くにあり、コーサラ国の王プラセナジト王が祇園精舎に居る釈迦を訪れる場面のものです。

左柱内面(上から3段目)ビ【ンビサーラ王がブッダに会いに来る様子(竹林精舎)】
 釈迦は冬の間は主に王舎城(ラジギール)に滞在されました。竹林精舎はマガダ国の都王舎城の近くにあり、マガダ国の王ビンビサーラ王が竹林精舎に居る釈迦を訪れる場面のものです。作品の両端には竹林が表現されています。

左柱内面(上から4段目)【ヤクシャー】

左柱外面 【全面模様】

 



  第2ストゥーパ

 

 第1ストゥーパと第3ストゥーパが隣接して丘の頂上付近にあるのに対し、第2ストゥーパは第1ストゥーパの西側約500メートル、巨大な僧院遺構の横を通り下った丘の中腹にあります。第1ストゥーパが完成したた時代より100年余り古いBC2世紀末頃の作品といわれます。大きさは3つのストゥーパーの中で最も小さく、トーラナや頂上の傘蓋はありません。ストゥーパを囲む欄楯(玉垣)が残り、欄楯には多くの彫刻が残ります。欄楯に彫刻が施されるのは同じ時代のバールフットのストゥーパと同じですが、テーマはバールフットでは、仏伝図や本生(ホンジョウ・釈迦の前世の物語)などの仏教的要素が多く含まれるのに対し、サンチー第2ストゥーパでは蓮華模様、象、牛、鹿、ナーガ(龍神・蛇神)など自然の事象が中心になります。また彫刻は彫りが浅く平面的 なものとなっています。第2ストゥーパはイギリス人考古学者カニンガムにより発掘調査が行われ、凍石製の小舎利容器を納める石製の舎利箱が検出され、これらにはアショカ王の時代の高僧の名が刻まれていました。

 

 



   第3ストゥーパ

 

 第3ストゥーパと第1ストゥーパのすぐ隣にあります。ストゥーパ中腹の遶道(ニョウドウ)とこれに付随する欄楯、トーラナは南の1つのみが残ります。ストゥーパーの本体はシュンガ王朝期に、南のトーラナはサータヴァーハナ朝期につくられたとものと考えられています。ここも発掘調査が行われており、2つの石製舎利容器が発見され、それぞれに釈迦の弟子である舎利弗(シャリホツ)と大目建連の銘が刻まれていました。