ムラガンダクーティ寺院
サルナートは、寺院エリア、遺跡エリア、博物館、迎仏塔の4つの部分で構成されています。それぞれのエリアは別々の場所にあり、各エリア間の移動は一旦公道に出て行き来する必要があります。寺院エリアの中心となるのがムラガンタクーティ寺院です。サルナートの遺跡も、インドで仏教が衰退した後、人々に忘れさられ荒廃の一途をたどりました。イギリスの植民地支配の時代、イギリス人考古学者アレキサンダー・カニンガムはこうした仏教遺跡を発掘し、古代インドの仏教を次々と解明しました。サルナートの遺跡も彼によって発掘され、遺構は遺跡エリアに残り、出土品は博物館に収蔵されています。発掘調査終了後、スリランカ人僧侶ダルマパーラ師は、初転法輪の地サルナートに再び祈りの場をつくろうと、マハボディ・ササエティーを組織し、1931年に建立したのがムラガンタクーティ寺院です。寺院内部の壁面には、日本人画家野生香雪による、お釈迦様の生涯をテーマにした、躍動感溢れる壁画が描かれています。また、寺院入口直上に、日本仏教連合会から寄進された梵鐘が吊るされ、この梵鐘に記されている文字は、当時京都清水寺管長であった大西良慶師によるものです。
ムラガンダクーティ寺院の横に、初転法輪を行うお釈迦様と五比丘の像があります。その上に繁る菩提樹の大木は、1931年ムラガンタクーティ寺院落慶のときに、スリランカ・アヌダラプーラのスリマハ菩提樹(ブダガヤの項参照)から株分けされた菩提樹で、ブダガヤの金剛宝座の上に繁る菩提樹の聖木の兄弟という事になります。
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(ムラガンダクーティ寺院)
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(ムラガンダクーティ寺院)
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(ムラガンダクーティ寺院)
サルナート遺跡群
ダルマラージカ・ストゥーパ
遺跡エリアに入場し少し進んだところにダルマラージカ・ストゥーパがあります。このストゥーパは、紀元前3世紀アショカ王により造営されました。アショカ王は、お釈迦様の入滅後8つに分けられ埋葬された舎利のうち7か所を発掘し、8万4000箇所に再埋葬したと伝えられます。このストゥーパはそのうちの1つとされます。ダルマラージカ・ストゥーパは、基礎部分が残るのみとなっています。これは18世紀ベナレスの王ジャガット・シンが市場をつくるため、石材と煉瓦をこのストゥーパから調達したためです。その時発見された舎利容器に入れられた人骨は、ヒンドゥー教の習慣によりガンジスに流してしまったといいます。
アショカ王柱
ダルマラージカ・ストゥーパの地点から少し進んだところに、アショカ王柱が残ります。アショカ王柱についてはルンビニの項で触れました。サルナートのアショカ王柱の柱頭部には、柱頭部4頭獅子像と呼ばれる、インドを象徴する彫刻が載せられていました。この作品はインドの国宝の中でも最も重要なもので、インド政府の国章ともなっています。遺跡エリアに残る柱部分は3つに折れ、ブラフミー文字で『教団の中で戒律を守らなかった比丘または尼比丘は、教団から追放し還俗させる。』など出家者の戒律について刻まれています。
ムラガンダクーティ寺院(根本香堂)
アショカ王柱のすぐ近くに、古代の仏教寺院ムラガンダクーティ寺院跡があります。今は建造物が崩れ落ち、その基礎の部分が残るのみとなっています。この寺院は、この地で初転法輪が行われた事を記念して、グプタ王朝期(4世紀)に建立されました。寺院の基礎部分は一辺18,29メートルの四角形を呈し、その分厚い壁の構造から60メートル相当の高さを有していたと考えられます。事実、玄奘三蔵の「大唐西域記」に高さ百尺余り(今の200尺にあたり=60メートル)の精舎が空高く聳えていた事が記録されています。
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(ダルマラージカ・ストゥーパ)
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(アショカ王柱)
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(ムラガンダクーティ寺院遺跡)
パンチャヤタン
ムラガンダクーティ寺院からダメーク・ストゥーパに向かう途中、コンクリートの屋根がある遺構があります。これがパンチャヤタンで、初転法輪のためブダガヤからやってきたお釈迦様とどう向き合うか、五比丘が相談したところだといわれています。このパンチャヤタンの形が、卍の字形のルーツになったとの説もあります。
ダメーク・ストゥーパ
遺跡エリアの一番奥に位置するのが、高さ43,6m・底辺直径36,6mを有する、サルナート最大の建造物ダメーク・ストゥーパです。建立されたのはムラガンダクーティ寺院と同じグプタ王朝期で、この時代は、ブダガヤの大菩提寺などとともに、高さの高い寺院や仏塔を建築するのが流行しました。このストゥーパは何回かの拡張を受けていて、下部には一番新しい時代の華麗な蓮華唐草模様と幾何学模様の石製装飾パネルが残ります。上部は崩壊しており、下部に残る石製装飾パネルが貼られる以前に築かれた、古い時代のストゥーパの表面が露出した形になっています。
迎仏塔(チョウカンディー・ストゥーパ)
サルナート遺跡エリアからベナレス市内へ車で向かう途中、3分ほど走ったところに迎仏塔(チャウカンディー・ストゥーパ)があります。この場所で、初転法輪のためブダガヤからやってきたお釈迦様を、五比丘が迎えたといわれます。当初、五比丘達はお釈迦様を、苦行を捨てた脱落者だと考え、適当にあしらうつもりにしていました。しかし、やってきたお釈迦様のあまりに光り輝く姿に、自然に初転法輪を受け入れたといわれます。このストゥーパは4~5世紀のグプタ王朝期に建造されました。ストゥーパ上部の八角形の建物は、1588年にムガール帝国3代目のアクバルによって建てられた見張り台です。
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(パンチャヤタン)
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(ダメークストゥパ)
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(迎仏塔)
サルナート博物館
サルナート博物館は小さいながらも、柱頭四頭獅子像などインド第一級の文化財を収蔵する博物館です。博物館の主要コレクションをご案内いたします。(金曜日休館です)
柱頭四頭獅子像
博物館の入口正面に展示される、遺跡エリアで見たアショカ王柱の上部に載せられていた彫刻です。マウリヤ王朝期の作品なので、博物館内の彫刻作品としては最古のものとなります。下部には蓮弁があり、その上に獅子-法輪-象-法輪-牛-法輪-馬-法輪が彫刻されています。この法輪はお釈迦様の最初の説法(初転法輪)を意味し、獅子・象・牛・馬の四大聖獣は、お釈迦様には釈迦族の獅子の異名があった事、マヤ夫人がお釈迦様を懐妊されるとき白象の夢をみた事、お釈迦様のゴータマという名前には最良の牛という意味があった事、お釈迦様の出家は馬に乗って行われた事、に由来します。この四大聖獣はいずれも歩行をしているところの姿で彫刻されています。最上部には、4頭の獅子が背中を向け四方を向いたポーズをとっています。これには、世界中にあまなく仏教が広がるようにという念願が込められています。
転法輪印仏陀坐像(初転法輪像)
ガンダーラ・マトゥーラで1世紀頃考案された仏像は、5世紀を中心としたグプタ王朝の時代に、最も洗練された様式美を完成させました。その中の最高傑作の1つが、サルナート博物館(左館の一番奥)に収蔵される転法輪印仏陀坐像でしょう。この作品はサルナートから出土した、お釈迦様の初転法輪の像で、その表情は端正で慈愛に満ちています。大型の光背の上部には飛天が刻まれ、光背の下の両脇には伝説の魚マカラが、その下に有翼の獅子レオ・グリュフが表現されます。印相(手の形)は転法輪印を組み、作品下部の中央には法輪、その両脇に五比丘、それに初転法輪を五比丘とともに聞いた鹿が表現されています。左端の女性と子供はこの作品を寄進した在家の親子だと考えられます。
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