インパックツアーズ・トップページへ   インドトップページへ         モデルコース・トップページへ
 

伝道者フランシスコ・ザビエルを訪ねる

 

 

     【お食事記号 B=朝食 L=昼食 D=夕食 X=無しまたは機内食】

 

 

訪問都市

時刻

交通機関 観光記号 ♦=車窓観光 ♠=下車観光 ♣=入場観光  
 

各  地 発

香  港 着
香  港 発

ムンバイ 着

午前

午後
夕刻


フライト


フライト

キャセイ航空にて各地より香港へ。
香港にてキャセイ航空に乗継ぎムンバイへ。
到着後、現地係員の案内で空港近くのホテルへ。


  X X X           (ムンバイ 泊)
 
 

ムンバイ 発

ゴ  ア 着










国内線




午前、インド国内線にてゴアへ。(所要約1時間)
到着後、オールドゴア地区の教会群【世界遺産】観光。
日本にキリスト教を伝えたザビエルの遺体が安置されるボムジェズ大聖堂1517年フランシスコ会修道士により建築され1661年現在の形が完成したアッシジの聖フランシス修道院と教会♣、イタリア・トスカーナ地方の教会建築様式を模して建造された聖カタリナのセー・カテドラル♣)
  B L D           (ゴ  ア 泊)
 
 




ゴ  ア 発

ムンバイ 着




夕刻

夕刻





国内線

午前、自由行動。
*インド最大のビーチリゾート・ゴアにてリゾートライフをお楽しみください。

夕刻、インド国内線にてムンバイへ。
空港近くのレストランで夕食後、国際線空港へ。

  B L D            (機 中 泊)

 
 

ムンバイ 発

香  港 着
香  港 発

マ カ オ着

深夜




午前


フライト


専用車


深夜、キャセイ航空にて香港へ。
到着後、香港~マカオを結ぶ全長55Kmの海上橋・港珠澳大橋を渡りマカオへ。
午後、マカオ市内観光。
ザビエルの右腕・上腕部が納められる、中国地区バロック建築の教会の代表作とされる聖ヨセフ修道院・聖堂修道院非公開開)【世界遺産】ザビエルの右腕・上腕部が1990年代後半まで納められていた聖フランシスコ・ザビエル教会♣、1835年の火災で倒壊し教会正面の壁面のみが復元された聖ポール天主堂跡【世界遺産】
  B L D           (マ カ オ泊)
 
 

マ カ オ発

香  港 着
香  港 発

各  地 着



午前







国際線

朝、高速フェリーにて香港へ。
昼または午後、キャセイ航空にて日本各地へ。




 

 

 
 

聖フランシスコ・ザビエルの物語

 

 
フランシスコ・ザビエルは、1506年今日の現スペイン領ナバラ王国の地方貴族の家に生まれました。幼少期は地元の勢力争いに翻弄され、親族の相次ぐ死で幸福とはいえない時期を過ごします。19歳の時パリ大学に留学、学友の影響を受け聖職者を志し、神に生涯を捧げるという誓いを立てます。同時にその時の学友6人でイエズス会を創設しました。
 1541年ポルトガル王ジョアン3世の依頼で、当時ポルトガル領だったインドのゴアに赴任。インド各地で宣教活動を行いました。さらに東進し1545年マレーシアのマラッカへ、1549年には薩摩半島の坊津に来日し鹿児島を拠点に日本での布教活動を始めます。その後京都での布教活動を求めるも、当時の権力者足利義輝との拝謁と布教許可を得ることができず、失意のもと京を後にして長崎県平戸へもどります。平戸に置いてあった献上品を携え、山口に入り、大内義隆と謁見、山口の地で宣教の許可を得て布教活動を行いました。その時の献上品に眼鏡があり、この眼鏡が日本に初めて持ち込まれた眼鏡だといわれます。
 1552年さらに中国での布教を決意、中国広東省の上川島(一般的にジョウセントウと読みます)に上陸したものの布教は許されず、この地で病に倒れ46歳でこの世を去りました。
 ザビエルの聖遺体は、一旦石灰がつめられ上川島に埋葬、1553年にマラッカに移送され、さらに1554年インドのゴアに移され、ボムジェズ教会の銀とガラスの棺に納められました。
 1614年イエズス会の命令で、右腕が切断されローマのジェズ教会にはこばれました。切断の際死後50年が経過したにもかかわらず、鮮血がほとばしったとされます。今日ザビエル右腕の上腕部はマカオの聖ヨセフ聖堂に、下腕部はローマのジェズ教会に安置されています。

 

 

 

 
 


2024年は10年に1回の聖フランシスコ・ザビエル聖遺骸のご開帳です。

 

‎ ‎
‎ フランシスコ・ザビエルの遺体は、ゴアのボム・ジェズ教会の高さ10メートル弱の高所の祭壇に置かれた、銀とガラスの棺に安置されています。 参拝者は遠くにお顔から全身までそのお姿を確認する事ができます。 聖遺骸は10年に1度その棺は降ろされ公開されます。 公開期間には500万人以上の巡礼者が訪れ、参拝者の行列が数キロに及ぶ事もあります。 次回の公開は2024年の予定です。 前回の2014年のご開帳の際は11月22日から翌年1月4日まで公開されました。 ‎

 

 

 

 

 

インドのキリスト教聖地

 

 
サントメ聖堂(チェンナイ)
 伝説によるとイエス・キリストの十二使徒のひとりトマスは、キリストの没後インドに赴き布教をしたと伝えられます。トマスはインド・チェンナイ(旧マドラス)の地で他界し、その場所に建立されたのが、サントメ聖堂(インドではトマスをトメといいます)とされます。サントメ聖堂の裏側の地下にトマスの墳墓があり、現地キリスト教徒の厳粛な祈りの場となっています。今日残るゴシック様式の白亜の建造物は、19世紀に建て替えられたものです。

 
 


マザーテレサの福祉施設「神の愛宣教者会」(コルカタ)
 カルカッタ(現コルカタ)で生涯を貧し人・恵まれない人に愛を捧げたマザーテレサはあまりに有名です。カルカッタは1947年の印パ分離独立、1971年のバングラデシュのパキスタンからの独立と歴史の波に翻弄され、街には多くの難民が溢れていました。マザーテレサはインドに赴任し聖マリア学院にて教鞭をとっていましたが、ダージリンへの旅の途中神からの啓示をうけ、1948から単身カルカッタのスラムに入り、貧しい人、恵まれない人、愛されていない人のために愛を捧げました。最初は未就学児への教育を手掛け、ハンセン氏病や深刻な病に苦しみ人々、孤児、エイズ患者、精神病患者と救いの手は多岐にわたるようになりました。
 マザーテレサは1997年87歳でこの世をさります。彼女の遺体は遺言により「神の愛宣教者会」本部に眠ります。また、彼女の活動はカルカッタを始めインド各都市・世界各国に引き継がれています。

 
 


ヴェランカニ
チェンナイの南約300Km。ベンガル湾に面した小さな港町がヴェランカニ(VELANGANNI)です。地元の伝承によると1570年と1597年聖母マリアがこの地に出現されたと伝えられます。この地には、地元の信者の信仰をあつめる健康のマリア教会があります。