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インドのプロフィール

 
 

 

 

インドの面積
インドの面積は3,287,263平方キロメートルで日本の面積の約8,7倍に相当します。世界各国の面積ランキングでは1位ロシア、以下カナダ、アメリカ、中国、ブラジル、オーストラリアで第7番目となります。
インド国内には29の州と、9の連邦直轄領があります。最大の面積の州がマディアプラデッシュ州で、308,000平方キロメートルあります。この面積は日本の総面積から北海道を除いた広さに相当します。マディアプラデッシュ州はどちらかというと地味な州ですが、カジュラホ・サンチーなどの遺跡群がある他、キプリングの『ジャングルブック』の舞台となったペンチ国立公園がある事で知られています。

 


 

 

インドの人口
12億1,019万人(2011年国勢調査)
インドの国勢調査は10年に1回で2021年の調査結果がでていないため、2011年度調査結果の数値です(2018年WHOの推定では13億5264万人)。
ちなみに世界一人口が多いのは中国(14,3億)、2位がインド、3位がアメリカ(3,2億)、最も人口が少ないのは南太平洋のナウルで11,000人です。インドでは中国のような厳しい産児制限はなく、農村には5人以上の子供が居る家庭も少なくありません。間もなく中国を抜き世界一になるとされます。年齢別人口ピラミッドは、子供の数が多く、高年齢の人が少ない、理想的な三角形の形をしています。

 


 

 

国旗
上部サフラン色は勇気・犠牲を意味します。
中部白色は真理・平和を意味します。
下部緑色は大地・誠実を意味します。
中央の法輪は古代文明を意味します。もともとは仏教の全世界への伝播のシンボル(アショカ・チャトラ)です。


 


 

 

言語
インドには連邦公用語としてヒンディー語・て英語、地方言語合計22の指定言語(準公用語)があります。このうち話者人口の最も多いのがヒンディー語(2,6億)、2位ベンガル語(8,2千万人)、3位デング語(7,3千万人)、4位マラティー語(7,1千万人)と続き、最も少ないのが古代インドの言語サンスクリット語(2千人)です。
インドルピー紙幣には、合計15の言語でその紙幣に対する説明が記されています。言語は地方により異なり、同一言語の通用圏で州境が引かれています。ウルドゥー語だけは地域の言葉ではなく、全インド共通のイスラム教徒の言葉で、パキスタンの公用語でもあります。
全インドで共通して使われる英語は、地方により言語が全く異なるインドにおいて重要な存在です。イギリスの植民地政策では負の遺産を多く残しましたが、イギリスの残した英語、鉄道、民主主義制度は現在インドで重要な役割をはたしています。


 


 

 

政治体制
 連邦共和国制で、議員制度は上院(州会議)と下院(人民会議)で構成されます。中央政府の下に合計29の州の議会があり、州により法律が異なるなど、州の独立性が高くなっています。(例えばグジャラート州・ビハール州では州法で禁酒になっています。)
 インド独立後の初代首相がネールで、ネールが属していた国民会議派(National Congress)がインド最大の与党勢力として、インディラ・ガンディー、ラディブ・ガンディーと引き継がれました。(名称はガンディーですがマハトマ・ガンディーとは血縁関係はなく、ネールの一族です)
 1989年の総選挙の際、インド人民党(BJP)に敗れ国民会議派は下野します。その後BJP政権が続きますが、2004年暗殺されたラディブ・ガンディーの妻イタリア人のソニア・ガンディー総裁が率いる国民会議派は再び与党に返り咲きます。この時登場したのが、記憶に新しいシーク教徒の首相マンモハン・シンです。再び2014年の総選挙でBJPが政権をとり、現首相ナレンドラ・モディの時代を迎えます。

 



    インドの宗教

 

ヒンドゥー教(人口比率80.5%)
 インドを代表する宗教です。典型的な多神教で特定の教祖は存在しません。成立の過程は、土着信仰とアーリア人の侵入とともにもたらされたバラモン教が徐々融合し、紀元前4世紀頃にその基礎ができあがったとされます。現在インド周辺諸国の他、インドネシアのバリ島でも信仰されています。
 ヒンドゥー教の神は下記の3大神があげられますが、地域により無数の神が存在し、実態は千差万別です。
    ブラフマー=宇宙の創造神  ビシュヌ =維持を司る神  シヴァ  =破壊を司る神
 バラモン教の教義が大きく引き継がれ、輪廻からの解脱を最終目的とします。最高の聖地の1つベナレスで一生を終え、この地で荼毘に付され、その灰をガンジスに撒かれれば解脱する事ができると信じられています。

 


 

 

イスラム教(人口比率13.4%)
 インドにイスラム教が伝播したのは12世紀です。デリーではヒンドゥー王朝を倒し、イスラム王朝が初めて都をこの地に建設した事を記念して、クトゥブミナール(世界遺産)が建設されました。 
 16世紀初頭よりインド全域を支配したムガール王国はイスラム教の帝国でした。時代とともに南インドに広がり全インドに勢力は拡大されます。
 インドのイスラム教徒の人口は1億8,000万人で、インドネシア・パキスタンに次世界3番目のイスラム教人口の国となります。
 インドにはオーランガバードなどバードとつく街が多くありますが、これらの街には、かつてイスラム教の王朝が支配していました。一方ジャイプールなどプールがつく街も多くありますが、これらの街は、ヒンドゥー教藩王(マハラジャ)により支配されていた街です。

 


 

 

 キリスト教(人口比率2.3%)
 インドにキリスト教が伝えられたのは、伝説によるとキリスト没直後、キリストの弟子(十二使徒の一人)聖トーマスがインドにキリスト教布教に訪れた時だとされます。彼が没した場所に建つのが、チェンナイ市内のサントメ・カテドラル(大聖堂)とされます。
 大航海時代多くの宣教師が、ポルトガルやスペインから南インドを経由して、アジアにキリスト教を布教しました。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本への布教後中国の上川島で没します。遺体は一回この地で埋葬されましたが、再び掘り出されインドに運ばれ、南インド・ゴアのボム・ジェズ大聖堂のガラスと銀の棺の中に眠ります。南インドにはこの時代伝播したキリスト教がひろまり、キリスト教徒の多い地域となります。

 

 


 

 

シーク教(人口比率1.9%) 
 16世紀グル・ナーナクにより開かれた宗教です。教義は、ヒンドゥー教、イスラム教の流れをくみ、唯一神の標榜、カースト制度の否定、偶像崇拝の禁止、人間の平等を説きます。本山はパンジャビ州のアムリッツアルにある黄金寺院です。シーク教の男性は頭髪・髭を切る事が禁止され、成人になるとターバンを巻き、ターバンの中にカットしない毛髪が蓄えられます。インド人=ターバンのイメージがあるのは、人口比率の割に海外に居住するシーク教が多く、彼らが多方面で活躍するためです。

 


 

 

仏教(人口比率0.08%)
 インドで起こった仏教は、ヒンドゥー教に吸収される形で、パーラ王朝の時代末期(12世紀)を境にインドから姿を消します。
 20世紀に入り2つの流れでインドに仏教が蘇ります。その1つが難民チベット人により持ち込まれた、チベット仏教です。1949年成立したばかりの中国共産党は、文化大革命のスローガンのもと、当時独立国であったチベットを侵略し、中国に編入しました。その時、多くのチベット人が、インド領ヒマラヤの高山地帯に新天地を求めやってきました。チベット仏教の宗教的最高指導者ダライラマ14世も僅かな随行員を従え、ヒマラヤを越えてダラムサラに逃れ亡命政府を樹立しました。
 もう1つの流が、インド憲法の草案を作ったアンベトカルにより興された新仏教(ネオ・ブッティズム)です。ヒンドゥー教の世界では、被差別民(ダリット)の解放は安易な事ではありませんでした。そこで平等を説く仏教によりどころを求め、新仏教を興し、差別に苦しむヒンドゥー教徒を新仏教に改宗させました。

 


 

   食事のお話

  ベジタリアン・ノンベジタリアン 宗教的理由で、ヒンドゥー教徒の大半の人達や、ジャイナ教徒は肉料理を食べません。肉を口にする人達でもヒンドゥー教が神聖とする牛と、イスラム教が不浄とする豚を食する事はありません。ノン・ベジタリアンの人達の肉料理は、チキン・マトン・ラムが中心になります。ジャイナ教では戒律により、土の中の野菜(玉葱・ジャガイモ・人参・大根・生姜など)を食する事が禁止されています。  
   地域による違い 北インドでは麦を素材とするナン・チャパティーが主食となるのに対し、南インドやネパールでは、米が主食となります。インドの米はインディカ種(長粒米)で、炊飯の方法の違いもあり、日本人にはパサパサした感じがありますが、米自体に香があり慣れれば美味しくいただけます。一般にカレーは南に行くほど辛くなる傾向があり、南インドの料理はココナツミルクを多用するため独特の香りがあります。南インドではバナナの葉の上に料理を盛り付けます。ベンガル(コルカタ周辺)・南インドでは海鮮カレーがあります。デリーなど北インドに海産物が輸送できるようになったのは最近の事で、海産物を食べる習慣がなく、淡水魚はモスリム・低カーストの人達の食べ物という意識があります。  
   タンドール料理 タンドールとはかまどの意味です。串に差し込んだ食品をかまどで焼いた料理がタンドール料理です。その代表格がタンドリーチキンです。タンドリーチキンはヨーグルトや香辛料を漬け込んだチキンを竈で焼き上げます。シークカバブは羊の肉をミンチにして焼き上げたものです。チーズティッカはチーズの串焼きで、ベジタリアンのタンドールメニューです。  
   タリー インドカレー定食の定番で、大皿の中に5~10種類の小皿がならび、その中に種類の違うカレー、ヨーグルトやデザート等が並べられ、その真ん中にナン・チャパティーまたはライスが盛りつけられます。一度に何種類ものカレーが楽しめるので外国人にも人気です。  
   ナンとチャパティー 北インドではカレー(おかず)とセットになるのが、麦を素材とするナン・チャパティーです。ナンは野生酵母を自然発酵させたものを、かまどの内側に貼り付け焼成させたものです。チャパティーは小麦粉を水でねり、鉄板の上で焼いたものです。一般庶民の家庭には、かまどがあるところは少ないので、チャパティーが庶民の主食となります。やや粉っぽい食感ですが、素朴な味が魅力です。ナンはチャパティーに比べ高級料理で、ホテルで提供されるのはほとんどナンとなります  
   インド料理あれこれ

ダルカレー
ベジタリアンのインド人のタンパク源が豆でインドでは最もポピュラーなカレーです。
ほうれん草カレー
ほうれん草をペースト状にして香辛料を加えたカレーです。パニールといわれるチーズがよく入れられます。色が毒々しい感じですがマイルドな味わいです。
パパード (PAPAD)
レンズ豆から作ったペーストを油であげたり、かまどで焼いたりして作ります。胡椒の味がアクセントで、日本のインド料理レストランでも定番メニューです。

 

 

 

地形のお話
 インド亜大陸の地形は大雑把にいうと、北にヒマラヤ山脈、その南にガンジス河水系の平原地帯(ヒンダスタン大平原)、南半分が標高500m~1,000mのデカン高原で構成されます。
2億年前のインドは、オーストラリアのような南半球の大陸でした。それがプレートテクトニクスにのる北上で、6,500万年前にはユーラシア大陸と衝突しました。その時大陸の衝突により形成されたのがヒマラヤ山脈です。今でもプレートのぶつかりあいで、1年間に5センチ程度ヒマラヤ山脈は高くなっていますが、それとかわらない量を氷河・風で浸食されています。過去ヒマラヤ山脈は海底だった証拠に、多くのアンモナイト化石や珊瑚化石(山珊瑚といわれ珍重されています)がヒマラヤ山中から出土しています。

 


 

 

教育制度
 インドの学校制度は、7~11の5年間が初期教育・12~14の3年間が上級初期教育・15~16の2年間が中等教育・17~18の2年間が上等中等教育に分類され、上級初等教育までの8年間が義務教育とされています。しかし、山岳地帯では近くに学校があるとは限らない事、親の教育に対する意識が低い事などから、全ての児童が義務教育を受けているわけではありません。国としては、就学率を上げるため、義務教育8年の公立学校の授業料は無料とし、給食や制服の無料支給、さらに出席奨励金を準備するなどしていますが、僻地、貧困層全ての児童の全員を学校に通わせるのには困難をかかえています。上等中等教育後に大学に入学します。 
 一方、裕福な層は、初等教育から私立学校に通わせるのが普通です。私立学校では初等教育より英語が使われ、英才教育が行われます。インドの大学教育の水準は高くIIT(インド工科大学)、デリー工科大学などは世界とトップクラスのレベルで、卒業後多くの学生はアメリカやヨーロッパで職につきます。

 


 

 

カーストのお話 
 カースト制度は、紀元前1500年頃インドに流入したアーリア人が土着民を支配するため、作った古代ベルナ制度を起源とする身分制度です。カースト制度はバラモン~シュードラまでの4つの階層で構成されます。
  バラモン(僧侶,人口の5%)   クシャトリア(王侯・貴族,人口の7%) バイシャ(平民,人口の3%)
  
シュードラ(隷属民,人口の60%) ダリット(4つのカーストに属さない人々、人口の25%) 
 各カーストの中にジャーティーとよばれる職業別の階層が無数のあり、ジャーティーは世襲され、ジャーティーを越えた通婚は、伝統的にタブーとされています。実際には4つの階層の外にダリットとは呼ばれる人々がいます。ダリットは差別される事がありインド社会の大きな問題の1つとなっています。ダリットにはSC(Scheduled caste 職業的カースト)とST(Scheduled Tribe 部族的カースト)に分けられます。インド政府はダリット支援のためリザベーション制度という、公立学校への彼らの入学枠、公務員の採用枠を設けています。例えば洗濯はドビーとよばれる伝統的ダリットの職業ですが、洗濯機の普及でドビーの働ける場所は減少しています。職業選択の自由がないインドでは大きな問題になってきます。
 
カーストでの差別は、インド憲法で禁止されています。建国の父ガンディーはダリットをハリジャン(神の子)と名付け、ダリット差別はヒンドゥー社会最大の汚点とし、問題は人間の内面的に解決するものだとしました。一方インド憲法を草案したアンベトカルは、彼自身ダリットの出身で、常に差別に苦しんでいました。アンベトカルは、ガンディーの説く精神的な活動では問題は解決されないとし、法律的にダリットを保護するよう求めました。彼らの対立は解消される事なく、ガンディーは凶弾に倒れました。

 


 

 

結婚のお話
 インドでは都市部での一部をのぞき、結婚はお見合いで行われます。見合い相手は、生まれた日によって決まる星座と生まれた時間帯によって決まる星座により、相性のいい相手が占星術師により選ばれます。選定された相手が最終的結婚相手で、地方では結婚式当日に2人が初めて出会うという例は珍しくありません。
 
花婿・花嫁が同じ宗教である事はもちろん、地方部では同じカーストの同じジャーティー(職業集団)である事が絶対条件です。都市部でも花婿が花嫁より上位カースト・高学歴である事が条件になります。この結果上位カースト・高学歴の女性は結婚が非常に困難になり、こうした人たちの求婚広告が新聞によく掲載されます。
 
農村部では低年齢の結婚が多く見られます。法律で結婚は15歳以上と定められていますが10歳以下での結婚も珍しくありません。マハトマ・ガンディーも13歳で結婚しています。
 
結婚の際、花嫁が花婿に払う持参金制度ダウリがあります。ダウリ目的の偽装結婚や殺人事件の温床となるため、現在は法律で禁止されていますが、習慣としては現存しています。ダウリの金額は月収の何十倍であったり、地方では牛1頭、都市部の富裕層では高級外車1台など物納の場合もあります。
 
ヒンドゥー教の結婚式の流れは、まず花婿が白馬に乗り式場に向かいます。その際、楽隊や電飾隊がパレードを行います。花嫁は式場で待機しており、花婿が式場に到着すると花嫁のとなりに着席、花輪の交換を行います。ここから僧侶が同席し、火のまわりを7回周り、炎の神アグニに「嘘をつかない」「隠し事をしない」など7つの誓いをたて結婚は成立します。

 


 

 

葬式のお話
 インドでは宗教により葬式のやり方が全く異なります。人口の80%を占めるヒンドゥー教徒は、根本的な考え方が輪廻転生です。輪廻転生の世界では、人間の死は来世への生まれ変わりの準備で、その葬式では遺体を火葬し、遺灰は川に流し自然の中へ返します。もし聖地ベナレスのマニカルガートで荼毘に付され、遺灰がガンジスに撒かれれば、永遠の輪廻から解脱できるとも考えられています。また、マニカルニカガートは、シヴァ神が死人の右耳に、三途の河の渡り方の最高知識をささやく場所とし信じられています。
 
北インドでは、人が亡くなるとガンジス河やその支流河畔に遺体が運ばれます。その際遺体は竹でできた担架で運ばれます。遺体は川の水につけられた後、薪の上にのせられ火葬されます。一体の遺体を火葬するのに約300キロの薪が必要になります。薪にはマンゴ、ガジュマルの木が使われ、聖木の菩提樹が使われる事はありません。また遺体を運んだ竹は、天国への階段とされ、焼かれる事はなくそのまま川に流されます。子供・自殺者・僧侶の遺体は火葬される事なく、そのまま川に流す水葬が行われる事があります。
 
イスラム教、キリスト教の葬式では土葬が行われます。ヒンドゥー教では遺灰を川に流されるため墓がありませんが、イスラム教、キリスト教では埋葬された場所に墓標が築かれるため墓が存在します。タージマハールなどイスラム教王侯貴族の墳墓を訪問すると大きな墓標が置かれています。この墓標の中に遺体が安置されていると思う方が居られますが、遺体はその下の地中に埋葬されています。
 
珍しい埋葬方法として、北部山岳地帯のチベット仏教、古代イランで起こり今もムンバイを中心にごく少数の信者のいる拝火教(ゾロアスター教)では、鳥葬が行われています。チベット仏教では死者を高地に運び石でその遺体を骨まで砕きます。やがて鳥がやってきて身体のすべてがなくなります。鳥が魂を天界に運ぶものと信じられています。拝火教では、人間の死後、神聖な火での火葬を行わず、土・空気・水を汚さない鳥葬が最高の葬式の方法だと信じられています。

 


 

 

紅茶のお話
 インド=紅茶の国というイメージがありますが、インドで紅茶が生産されるようになったのは最近の事で、19世紀アサッムでイギリス人少佐ロバートブルースが自然の茶の木を発見、以降本格的に生産されるようになりました。インドの紅茶の産地としてダージリン、アッサム、南インドのニルギリが知られています。ダージリンの名前があまりに有名ですが、ダージリン・ティーとはダージリンの農園100あまりで生産される紅茶の総称で、全インドで生産される82万tの紅茶のうち1万tあまりにすぎません。ダージリンで良質
の茶葉が生産されるのは、ベンガル湾から吹き込む季節風がヒマラヤ山脈にぶつかり、ヒマラヤ山脈中腹のダージリン一体に霧を発生させ、この気候が紅茶生産に適しているためです。
 
インドでは紅茶をチャイという風味あるミルクティーで飲みます。チャイのつく方はまず鍋にお湯を沸かし、これに適量の茶葉を入れます。チャイにはダージリンより香の強いアサッム・ティーがいいとされます。約3分これを弱火で煮て、同量のミルクを加えます。再び沸騰したところで火を止めます。これにカルガモン(香の決め手)、シナモン、クローブ、生姜、砂糖などの香辛料をお好みにより入れます。